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2023年7月27日木曜日

第49回首都圏孔球親睦会ゴルフコンペ(梅雨明け特別)開催

 憂っとおしかったコロナが鳴りを潜めた?。どこそこでクラスター感染したというニュースも耳にしなくなったので本当に収束したのかな?そうなら誠に喜ばしい限りである。しかしながら日本のマスコミはトピックから外れたニュースは追跡報道しない傾向にあるので油断はできないが・・この様相は太平洋戦争当時の報道姿勢とさほど変わっていない。

さて、我が孔球親睦会はコロナが蔓延している最中でも中断することなく真摯に開催し続けた。(真摯というかなあ (^^♪))

かのイギリスは第二次大戦中もゴルフを禁じることなく奨励したそうだが、いかにも頑固なイギリス人らしい。爆弾が落ちて出来た穴にボールが落ちたらペナルティなしでリプレースできるとかなんとかローカルルールが記録に残っている。
【山爺の一言メモ】

イギリス郊外にあるリッチモンドゴルフクラブが1940年8月ドイツ空軍により爆撃を受けた。普通なら営業停止で疎開だがそこは紳士の国、爆撃の際の暫定ルールを次のとおり決めて営業を続けたそうな。

1. 芝刈り機の破損を防ぐため、爆弾や榴弾の破片の回収をお願いします 
2. 競技中の銃撃・爆撃の際、プレイヤーはプレー中断のペナルティなしで隠れることができます。 
3. 遅延作動式の爆弾の落下した場所は赤旗でマークされます。安全と考えられる距離に立てられますが保証はありません。 
4. フェアウェイやバンカーに落ちている破片がボールからクラブの長さ以内の距離にある場合、それをペナルティなしで取り除くことができます。その際ボールが動いてしまってもペナルティはありません。
ゴルフのプレー中に”〇〇”が始まった際の暫定ルール | 有馬カンツリー倶楽部 (arimacc.jp)

山爺もそれに倣うべくコロナ何するものゾ、と開催を続けた。『山爺、あんたは偉い!』・・・誰も褒める人がいないので自分で褒めますわ。

第49回大会が開催された。時は7月15日(土)場所はアパリゾート栃木の森ゴルフコースでの開催である。アパ??。そうです、どこにでも顔をだす、目立ちたがり屋の、あのばあさん社長の経営傘下になったゴルフ場での開催です。クラブハウスも例外ではなくあちこちにアパホテル社長の肖像画が目に付く。

予約したときは7月中旬だから夏本番前、なんとかなるだろうと考えていたが、甘かった。梅雨がまだ明けぬというのにここに来て連日36℃超えの猛暑だ。暑さに弱い体質の山爺はゴルフどころではなくなった。

急遽、暑さ対策として①クールネックリング②リング冷却用クーラーバッグ③OS-1と粉末電解液の携行④携帯水噴霧器⑤後頭部保護反射布⑥ワークマンで白長袖クールインナー購入・・などなど。万全?の暑さ対策でゴルフに臨んだ。

かかりつけの医師によれば熱中症を避けるための飲料水としてポカリスエット・アクエリアスは清涼飲料水なので飲まないよりは飲んだほうがよい程度、熱中症にかかったら効果なし。熱中症にはOS-1がよいと言われていたので今日はOS-1を1本と市販粉末電解液を2~3袋持参した。

粉末は天然水に溶かし込んで飲用するつもりだ。ゴルフ場にある自動販売機で天然水を選んでキャップを開けて粉末を入れようとボトルのラベルを見て驚いた。『ぎえ~ぇ、アパのばばあの顔が、ここにも』・・・出たがりばばあ、ここに極めり。

今回エントリーは7名の方々の参加です。常連参加の埼玉中央区SEさんが急性心不全の病を発症し当分の間戦列離脱となってしまったのは誠に残念です。しっかり養生して再び元気な姿を見せて欲しいものである。


今日のスタートはINのミドル№1h301yからです。距離はないが、すぐ右は崖でOB、中央にで~んと巨木が通せんぼ、厄介なスタートです。

先発組(9:00)は埼玉南区Iさん、東京地区のKAさん、埼玉中央区SEさん、埼玉東北地区HAさんである。

皆さんそつなく出て行ったようですがよく見ると左の山の上に登っている人も・・・ (^^♪

次発は我々、埼玉中央区NUさん、さいたま区のYAさん、山爺は3番手です。

山爺のティーショットいきなりの今日いちがでました。すばらしい当たりです。ですがボールは巨木の真ん前へ・・・仕方ないから3Wで枝を避けて低めに左方向へ。3打は寄らず4オンです。狙うは1ピンパットの通称竿一、狙い通りボールはラインに乗りあれよという間にカップイン、やったあ。いきなりの竿一ボギーで賞品獲得です。幸先がいいぞと思ったのはここまで。

次のロングホールはダブルスコアー10を叩いてしまいました。次のミドルでも、もたもたして5オンと不調ながら、またまた竿一パット(早々と賞品2個目)が冴えてダブルボギー。次のショートもボギーで切り抜けなんとか踏ん張りましたが。頑張ったのはここまで。

14hのロングで再び10の大叩き、以後の4ホールはすべてトリプル以上の体たらく、完全に壊れてしまいました。

午後のラウンドも7・7とトリプル先行、次のショートでParを取るものの焼け石に水。以後トリプル以上がずらり、終わってみれば63・64の大暴落、いくら下手な山爺とて、これはあまりにもひどい。あのアパばばあの祟りか~。うぬ~ぅ、出たな妖怪。ぎゃーてーぎゃーてーおんそわかー、きえぇ~!!

ここのコースはやたら変則でドッグレッグ(コース途中で90°ひん曲がっている地形)のところが多い。山爺はドッグレッグが大の苦手、何故かって、非力な山爺は一打で曲がり口までボールが届かない。ゆえに2打めで曲がり角までぽ~んと出すだけショットを強いられ余分に打たなければならないからだ。だから、よくてダブルボギー、多方はトリプル以上を叩いてしまう。

続く11・12も曲がっている。13のショートは150yと距離たっぷり。距離の出ない年寄りにはここのコースは全然やさしくない。そして極めつけはINの17・18だ。コースに沿って大きく池を出っ張らせて、アベレージゴルファーをイジメにかかる。いじめはいかんよ、アパばあさ~ん。



OUTに入ってもいじめは続く。大きな池超えからのスタートだ。後半くたびれた頃の7・8・9hがドッグレッグのひん曲がったひねくれコースが続く。このゴルフ場、まともなコースは数えるばかり。

山爺『♫おら、こんなとこ、嫌だ~』・・・吉幾三の声色で。誰だ、こんなとこ予約した奴は・・って、俺かい。 (´⌒`。)

成績発表です。やはり難しいコースに加えて暑さの影響も重なり皆さん成績が振るわなかったようです。100切った選手がいません。優勝は苦節幾星霜、これまでハンディ0の不名誉な状態が続いていた埼玉南区のIさんが遂に優勝を掴みました。おめでとうございます。



【川柳】

・アパ顔が ロビーに フロント ボトルにも 

 ・・たまに都内歩くと電光看板にどでかい顔が・・呆れたねえ

・打つたびに アパ顔浮かび 大崩れ   ・・ごめんなさい、もう悪口は言いません

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①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で行った場合、著作権法の違反となります。

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2023年7月19日水曜日

寅さんの故郷、葛飾柴又を歩いてみる

 なかなか梅雨が明けず、その割には38℃超えの猛暑が日本全国を襲う。さらに十数年前には耳にしなかった線状降水帯なる気象現象が日本海沿いを北上し各地で被害が起きている。我が国に何が起きようとしているのだろう。

一昔前なら7月中旬以降梅雨が明けて夏山シーズンの開幕だが今はどうだろう。2000m級の山でも酷暑による熱中症が心配で夏山に出かけるのは剣呑だ。

さりとて連日家に閉じこもってじっとしていたのでは山爺の身体が退化するばかりだ。どこかに出かけねばという恐怖観念に囚われる。囚われる・・とら・・寅さん、そうだ、葛飾柴又の帝釈天にでも行ってみるか。(^^♪


山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズが面白くて仕方がない。どの作品も3回以上は見ているだろう。この映画はもはや古典落語と化している。笑いどころがあらかじめ分かっているのだ。来るぞ、来るぞ、来た~『アハハ!』とこうなる。

柴又の地理は我が子達が幼い頃家族で一度訪れているので概ね分かっている。

映画のプロローグは決まって寅さんがくるまやに帰ってくるシーンから始まるのだが、ここで疑問。


柴又駅から寅さんが最短で歩いてくればくるまやの中から見た場合左側から来るはずなのに必ず帝釈天方向から来るのだ。地形から推察するに江戸川の土手を散策し次に帝釈天前をチラ見してくるまや到着と遠回りして帰ってくる。なぜ?やはり小さい頃遊んだ場所やら故郷が懐かしく大回りする設定なのだろうか。

そういえば山爺もたまに実家のT市に帰る場合、駅降りてから大回りして市内を懐かしんで散策しながら帰ることがある。あれとおんなじだ。山田監督、やはり芸が細かい。

我が家を出て東武線牛田駅で京成線に乗り換え高砂駅へ、ここで金町線に乗り換えようやく柴又駅へ着いた。金町線は都内では珍しい単線、柴又は都内にある田舎と言っていいだろう。

寅さんが旅に出るとき今は存在していないがJR上野駅構内の食堂がよく出てくるが柴又駅から上野への直通便はない。さくらと別れてからどんな風に乗り継ぐのか考えてみた。

寅さん、さくらと別れて感傷に浸る暇もなく高砂駅で乗り換えなければならない。京成本線で京成上野駅へ、ここから地下道を通ってJR上野駅に向かう。そして切符を買って帽子に挟んでから構内食堂で寺男の源ちゃんと腹ごしらえ、とこうなるはずだ。途中日暮里駅で山手線に乗り換える手もあるがそれではそのまま旅立つことになり構内の食堂には入れない。

京成上野駅の裏手に食堂が沢山あるので普通はそちらを利用したほうが良さそうだが京成上野駅はモダンな駅だから絵にならないのか一度も映画のカットに使われたことがない。

寺男の源ちゃんが鐘を突くシーンで有名な鐘楼です。
源公と寅さんが床滑りをして御前様に叱られる渡り廊下
子供らを引き連れて忍び込み団子を盗んだ本堂です。
よい歳をした大人がよくやるもんだ。

この寺の正式名称は日蓮宗の柴又帝釈天題経寺といいます。
創建は寛永6年(1629)だから徳川幕府初期の頃です。
祀られている仏様は帝釈天ですが、さて仏様にも序列というかランクがあるのはご存知か。
【山爺の一言メモ】

仏様は大別では、如来・菩薩・明王・天部

の4種類、そのほか羅漢という仏様の弟子にあたる名称があります。

如来とは真理を悟った者でこれが序列の最高位、大日如来なんかがそうです。次が菩薩、これは悟りを目指す者、弥勒菩薩なんかはまだ修業中の身なんですなあ。そういえば大日如来の左右に月光・日光菩薩がいるわ・・納得。浅草観音さまは菩薩だからこのランクに入るのかな?

次が明王、不動明王や愛染明王がそれで如来の教えに従わない者を厳しく説き伏せるんだそうです。検事総長か文部大臣てとこ?(^^♪。 

そして天部は仏界に煩悩が入り込むのを防いだり悟りを開こうと修行する者を仏敵から守ったりする役目を担うんだそうです。さしずめ防衛大臣か警察庁長官ってとこかな。

帝釈天は仏様でも最下位のランクだったんですねえ。こんなこと書くと帝釈天やお不動様から苦情が来るかな。山爺の好きな興福寺の阿修羅はどこに入るのか調べたらかつてはお釈迦様に逆らって帝釈天とも争った経緯があるがお釈迦様に諭されて反省、天部に序列しています。

別な考えとしてこれらの仏様たちに序列はなく同列でそれぞれ役目が違うだけと諭す法話もあるようですが、どこの世界にも序列は必ず起きるはずで、あったほうが自然だし面白い。

羅漢なんか仏様じゃなく弟子だから寄居の500羅漢は拝んでもご利益は薄いのかな?。

では先日お参りした西新井大師の大師とはいったい?・・調べたら①仏・菩薩の総称②朝廷から高僧に送られる(主に死後)称号とありました。人間(僧侶)の尊称だったんですねえ。・・・ためになったねえ。

寅さんミュージアムに入ってみましょう。一般入場料は¥500ですが65歳以上のシニアは¥400、身分証の掲示は不要?自動販売機で選択します。もちろん山爺は¥400



くるまやの内部が再現されています。

寅さんが殊勝にも電話番、でも居眠りしてて役立たずです。




くるまやのおいちゃん。おばちゃん、さくらがお店の中でくつろいでいるとひょっこり寅さんが帰ってくる。お馴染みの眺め。

映画ではたいてい右手の帝釈天の方向からただいまと言いながら入ってくる。

左から帰ってくるときは飲まず食わずでフラフラとか、駅前で倒れ戸板に乗って運ばれたり、他人の赤ん坊背負っていたり・・寅にとって異常事態の時だけです。筋書きにより入ってくる方向をちゃんと区分している山田監督、さすがです。

それじゃそろそろお開きとして、お休みなさい。と言い残し2階に上がって行くときに必ず、コケてしくじる寅さんの名場面がこの階段で何度も演じられました。




タコ社長が経営する朝日印刷所も裏庭越しに再現してます。

PC全盛の今の世です。中小企業の朝日印刷はとうの昔に時代に乗り遅れ倒産したんでしょうねえ。





寅さんのカバンの中身、いつも気になってました。あの大きなカバンの中に何が入っているんだろう。

ハサミやら目覚ましといった日用品、うちわ、はては蚊取り線香まで。時刻表も持ち歩いているようです。寅さん時刻表読めるのかなあ。読んでいるシーン見たことないです。

さて、お馴染みの江戸川の土手を歩いてみよう。

この土手で子供らとトンボとり、ダンボールそり、昼寝などの名シーンが撮影されました。

ただ、今持って理解できないのがマドンナやその関係者らをこの土手から見送るシーンが多々ありましたがなぜくるまやから遠回りして駅に向かうのか?山田監督教えて~。


第2作で東野英治郎演じる寅さんの中学校恩師の我がまま『江戸川の天然うなぎが喰いたい』との要望を果たすべく寅と源ちゃんが釣り糸を垂れた金町浄水場の取水塔です。

絵になりますねえ。こういう場所をカットに使う山田監督、すばらしい。


諏訪ひろし、さくらが住んでいそうな家並みを見つけました。満男のバイクが今にも出てきそう。




さて、柴又駅に戻ってきました。
何度もさくらと寅さんの別れの名場面が演じられたホームですが今は観光地となったせいかホームの幅も随分広くなってしまいました。

おいら、旅に出るぜぃ。・・・山爺も言ってみたいなあ。



期待せずに出かけた葛飾柴又界隈でしたが、こんなミニトリップもたまにはいいもんです。

【川柳】

・寅さんは いいなで終わる 凡俗人

・旅行なら 誰もが成すが 旅難し

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2023年7月2日日曜日

川崎・生田緑地あじさい山と日本民家園

 コロナによる自粛生活が長かったせいなのか、はたまた老いが進んで出かけるのが億劫になったのか判らないが、とんと出かける機会が少なくなった。たぶん後者の影響が大なのだろう。いかんなあ、じっとしているのは楽だけれど老化を促進してしまう。山でも行こうと思うのだが天候は連日雷予報が出ておりさっぱり良くならない。

ちまたでは紫陽花が咲いているだろうに・・・いつものようにGoogleマップで紫陽花の咲く名所と打ち込んで検索するとあじさい山という地域が数件ヒットした。秩父の美の山は有名だが山頂までの道中が長い。途中で雷に遭遇したら避難するのに難儀する。

向ヶ丘遊園のあじさい山、ここなら低山も低山、30分もあれば山頂だ。そばに川崎市立日本民家園もあるので紫陽花を撮り込んで古民家が撮れるかも知れない。


というわけで天気が回復した6月17日(土)いそいそと出かけてみた。日本民家園は6~7年前に一度訪れたことがある。

早朝に家を出でて北千住から千代田線で代々木上原へ、ここから小田急線に乗り換える。この手順は丹沢登山で何度か利用しているので勝手は分かっている。

丹沢登山は始発の新宿駅から小田急線に乗り換えるのが一般的だが新宿駅は何せ巨大な駅だ。乗り換えに時間がかかる。この駅なら電車を降りると反対側が小田急線下りホーム、乗り換えが徒歩ゼロ分という至便さだ。

ここから向ヶ丘遊園駅までは駅が沢山あり何となく遠そうに見えるが急行を利用すれば1~2駅停車するだけ、約15分で到着する。

向ヶ丘遊園駅の南口から15分も歩けば日本民家園に到着だ。今日の主役はあじさい山なので民家園は後回し。

民家園の正門から下に降りて菖蒲園沿いを歩く。あいにく菖蒲は時期を過ぎてしまっていた。

ぽつん、ぽつんと咲いている菖蒲を見ながら5分ほど歩くと科学館前の広場に出た。

広場には客車やSLのD51が展示してあり芝生には思い思いにシートを広げた家族連れがくつろいでいる。

山爺にもこんな至福の時期があった。人生過ぎてみるとあっという間だなあ。幼い子らの走る姿と小さいころの我が子らの思い出が重なる。

笑い声の絶えない芝生を横断してあじさい山の山道へ入る。

おお、今を盛りに紫陽花どもが・・どもって、偉そうに・・咲いてくれています。
白、ピンク、青、紫、ほどよく色が混じり合っています。

自然にはこうはならない。たぶん庭師やボランテァの皆様が日頃より丹精込めて手入れし、バランス良く配置しているのに違いない。


紫陽花が満開の中、山道というより散策路というほうが正しい道を撮影しながら歩く。実に楽しい。






紫陽花の別名を手毬花と言うんだそうで、なるほど言い得て妙ですなあ。

あじさい山は100mにも満たない丘のような山だ。山頂はすぐそこと登り続けていたら突然の通せんぼ。何?何?この先倒木により危険なので通行止めとある。

登山道なら倒木なんぞ当たり前でそれくらいのことで通行止めはありえないがここは幼い子供連れが多く訪れる公園だ。万一のことを考えての措置だろう。仕方がないので山頂を見極めることなく引き返す。

さて日本民家園の正門に戻ってまいりました。ここは有料で入場料は大人¥550ですが65歳以上は¥330の割引特典があります、ありがたや。特典に預り早速中に入りましょう。


当園は1967年開園というから相当古い。当時急速に消滅しつつある古民家を保存しようと全国から23の古民家を移築したものです。建築物の他、道祖神や野仏なども保存しています。園内に入ると正面に宿場町のような門が待ち構えてます。

正面に見えている建物は福島より移築した鈴木家(馬宿)で19世紀初期の建造。

井岡家、油屋の文字が見えます。奈良県柳生街道で油屋を営んでいた家です。18世紀初期の建築です。
井岡家の内部です。井岡の暖簾がいいですねえ。当時を忠実に再現しているので照明は少なめ。当時こんなに暗い中で商売をしていたんですね。




長野県伊那部地区で薬屋を営んでいた三沢家です。19世紀中期の建造。
屋根に石を乗せて風対策をしている時代劇でお馴染みの作りです。

代々組頭を努めた家柄なので門構え・前庭付きを許されたとか。

道祖神が道端に佇んで時代を演出してます。
これも全国各地から移設したものです。
長野県長野市から移設された水車小屋
19世紀中期のものですが動態保存、ちゃんと水車が回ってます。

今の時期なら紫陽花と古民家が重なるはずとの山爺の読みはドンピタリ。紫陽花と水車小屋、絵になるねえ。と、ひとりごち。
長野県千曲川沿いの名主の家、佐々木家です。18世紀中期の建造。

奥には合掌作り家も見えます。
佐々木家の内部です。磨きぬかれた床板と囲炉裏が素晴らしいです。

『庄屋さまぁ、今年の年貢はどんな塩梅かね』
なんて村人の声が聞こえてきそうです。
富山県南砺市、越中五箇山の合掌作りの家。
江向家、18世紀初期の建造。
中を覗いてみると囲炉裏に火を焼べている人が見学者と語らっています。

合掌造りの家はこうして定期的に火を入れてすすで全体を燻しておかないと家がもたないんだそうです。

以前何かの報道番組を見て山爺が覚えたエピソードですが、合掌作りの村落で当時流行りだした石油ファンヒーターを便利とて相次いで使いだしたところ、どの家も家のいたるところに虫が湧き出し大騒ぎになったとか・・・現代の科学に勝る先人の知恵もあるんですねえ。

岐阜県大野郡、いわゆる飛騨白川郷の合掌作り。19世紀前期。ここはお蕎麦屋さんとして実際に営業してます。

先ほど見た水車小屋は水車が回っていた。扉が厳重に施錠されていたので、もしかしたら中でそば粉を引いていたのかもしれないな。







値段も街中と変わらずお手頃なのでお蕎麦でもたぐろうと中を覗いたら折しもお昼どき、お客で一杯でした、残念。


作田家は修繕の真っ最中でした。
千葉県九十九里網元の家だそうな。17世紀後期の建造

こうして定期的に手入れして保存しているのですねえ。
ご苦労様です m(_ _)m
山梨県甲州市、広瀬家 17世紀末期の建造

ニューギニアや縄文時代の三内丸山遺跡の家屋に似てませんか。

日本の家屋は古代より暑さ対策を主体に作られた。だから高い天井と藁屋根が採用され続けたと山爺は思います。


シベリヤの極寒と違い日本の冬は着込みさえすれば凍死することはない。しかし暑いのだけは対処のしようがない。人間、裸以上にはなれないもんねえ。(^^♪

藁屋根なんか時代遅れと思うなかれ、藁は格好の断熱材であり湿度保全の効果も持ち合わせている。使い続けたのには科学的根拠があるのだ。

実際、今日は屋外は30度に届こうという陽気で歩いていると汗をかくが藁屋根の古民家に入るといずこの家屋もひんやりとしている。まるでクーラーの効いた部屋に入ったようだ。

火守りの係員に聞いても風が吹き抜けるからクーラーなくても凌げるよと答えてくれた。

何でもかんでも電気と文明の利器に頼るだけの現代人、そろそろ古人の知恵に学ばなければならないのでは?。

上の画像は鹿児島県沖永良部から移築された穀物収納小屋 19世紀後期。いやあ、まさに日本全国から移築してますなあ、恐れ入りました。ねずみの侵入を防ぐための4本の柱、その上部に穀物を収納する空間がある。

木枯らし紋次郎が出てきそうな雰囲気ですねえ。
『おめえ様はどちらに行くだかねえ』

ひょいと百姓姿の村人が出てきそうです。


こんなものまで移築してました。屋外の便所です。山爺の幼い頃はこんな農家がたくさんありました。

我が家は幸い街中だったのでこういう便所体験はないですが、こんな便所があったら夜中に一人でいくの怖かったろうなあ。
だから我慢する⇒寝小便、ってか。(^^♪
神奈川県多摩地区の船頭小屋 昭和4年
簡易な小さな小屋で寝泊りは出来そうもありません。

昼食や休憩に使用したのでしょう。
船便の都合とかで小屋の両方に担ぎ棒を差し込んで都度、ひょいと移動させて使っていたようです。そんな挿絵がありました。
古民家と紫陽花、似合いますねえ。

神奈川県川崎市登戸から移築の清宮家
17世紀後期の建造
神奈川県愛甲郡清川村から移築の岩澤家
17世紀末期の建造
中は広い板の間で機織り機が置いてあるので養蚕農家を営んでいたのかな。

それにしても藁葺き屋根と板の間家屋がこんなに涼しいとは、・・・勉強になりました。

ひょっとすると床が土間なのも貧しいのではなく暑気対策の一つなのかもしれませんね。

縄文から古墳時代まで庶民の家は竪穴住居でした。

竪穴式住居は見かけによらず冬は暖かく夏は涼しいんだそうです。藁と土間が湿度を一定に保ってくれるので居住性は抜群。

故に水害のリスクを冒しても使い続けた。
見かけだけで原始的な貧しい生活だなあと思うのは認識不足というものです。
三重県志摩市船越にあった舞台です。
安政4年(1857)だから幕末のころですね。内部に回り舞台の仕掛けがありました。

さて、ここが民家園の最頂部です。知らず知らずのうちに随分高いところまで登ってきました。

ここから西門出口がすぐそばにあり遊歩道沿いに正門まで戻れます。

多くの観光客はそうしてますが山爺は撮り残した被写体がありそうなので元来た道を戻ることにしよう。

【川柳】
・藁葺きを 粗末とみるか 訳知らず
・藁と土間 見かけによらず 科学かな
・まさるのは いずれや 縄紋と今 

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