アクセスカウンター

アクセスカウンター

2017年5月27日土曜日

三ッドッケ山から蕎麦粒山、川苔山縦走 (5月20日(土)~21日(日))・・・前編



今年から原則毎月1回登山をすることに決めたので・・・誰がいつ決めた!聞いてないよ!・・・登山日和の5月を逃すわけには行きません。ゴールデンウィークは交通機関が混むし次週は月一ゴルフがあったりで、あっという間に5月も半ばを過ぎようとしています。

しかし5月前半から中旬は北の冷たい気団と南の暖かい気団が関東上空でぶつかり合いばかり繰り返し気候が不安定です。おかげさまで13日(土)の月一ゴルフ研修会は朝から雨に祟られろくなもんじゃありませんでした。

久方ぶりに雨ガッパ着通しでプレー、スコアも全員悪く山爺は久方ぶりの60台超えでした。ショボン。幹事長の権限でこの日の記録は悪天候につき公式記録から削除決定です。

そりゃあ、とにかくひどかった。ボールが落ちると水しぶきが上がるわ、ピッチエンドランは着地と同時にボールが動かなくなるわで、ピッチピッチ、ジャブジャブ、ランランラン(ランは一切なし)状態です。

週間天気予報によれば5月20日以降に南の高気圧が張り出し好天が期待できると報じています。この日を逃すと5月の山行達成が難しい。行かねば行かねばと自分に言い聞かせます。

結果的にこの好天は猛暑に豹変し山爺を苦しめることになるのですがこの時点では気づくはずもなくルンルン気分で山行検討してました。

候補地は、丹沢・笠取山・奥多摩ですが去年雲取山直下の避難小屋を実際訪れてみてその綺麗さに感動したこともありその日以来、東京都管轄の避難小屋に泊まってみようかなと思っていました。

とにかく昨今の山小屋料金の高さったら慢性金欠病の山爺にとってはたまったもんではありません。およその料金は17年5月現在以下の体系下にあります。(先の料金が2食付・次が素泊まり寝具付き料金)

北アルプス   槍ヶ岳山荘   ¥9800・¥6800 燕山荘 ¥10000・6400
中央アルプス   宝剣山荘     ¥8700・¥6200
八ヶ岳        赤岳小屋      ¥8800・¥6200 権現小屋 ¥7800・¥4800
南アルプス   仙丈小屋      ¥8500・5500 北岳肩の小屋 ¥8000・¥5000
奥秩父          甲武信岳山荘 ¥8100・¥5400  富士見平小屋 ¥8500・4500
丹沢         尊仏山荘    ¥6500・¥4500  花立山荘 ¥6000・3500
尾瀬         長蔵小屋    ¥8000・¥5500

丹沢山系を除いては目を剥くような料金設定である。とうとう2食付きで1万円を超える山小屋まで現れた、パンパカパーン!!。しかも同じ山系内の料金設定は、ほぼ同一料金。これって闇カルテルじゃないのかねえ。

『小屋代は、みんなで上げれば怖くない』なんちゃって。Y(^0^)

山爺がよく歩いていた頃は素泊まり¥1000~¥1500、2食付き3000~¥4000くらいだったと思う。・・・っていつの時代だ。・・いやほんの30年前だよ。その後諸物価は低迷して横ばいか下落しているというのに、この世界だけは上昇を続けている。

ちなみに山爺が下山後またはお泊りゴルフでよく利用する格安温泉旅館グループの料金設定を紹介してみよう。

・伊藤園グループ。 ¥8400 90分バイキングお酒飲み放題付き 
・オオルリグループ  ¥7400 60分バイキングお酒飲み放題付き

山小屋の場合は不人気な山系を除いては相部屋に詰めるだけ詰めて人を受け入れる。


人道的に予約なしの客でも断るわけには行かないとかなんとか言っちゃって、飛び込まなくとも予約をどんどん受付て断ることを知らない。

かくて小屋内は終戦後の引き上げ船の船倉状態と化し・・・って例えが古いなあ!。

畳一枚(あれば良い方)のスペースでせんべい布団に包まり雑魚寝と相成る。床も板張りで寝ごこち悪く、食事はカレーか、お子様ランチ並みの粗末な食事です。しかも時間指定の交代制、刑務所並みです。


一方の格安温泉旅館は、より安価な料金で一人で泊まれてBT付きの大きな部屋にふかふか布団で料理・酒飲み放題、食い放題。おまけに温泉入り放題だ。有効なお金の使い方はどちらかなあと山爺はいつも思うのです。

山小屋は競争原理があまり働かない。先に山頂付近の良い場所を確保した者が勝ちで、儲かりそうだからといって追随しどんどん建てるわけには行かない。建てる場所がないもん。だから高かろうが親爺が横柄でぶっきらぼうだろうが著名な山へは客が殺到する。

おまけに山の愛好家はMっけがある方々が多いのかそんな偏屈親爺に怒鳴られることに喜びまで感じ神様のように崇める傾向にある。まったく困ったもんである。山爺はそんな山小屋は御免こうむる。

山小屋経営と行っても所詮は客商売ではないか。なにを偉そうにしているのだ。と山爺は思うのであります。・・・この間、山番組で3000mクラスの有名な山頂付近の山小屋の親爺を口うるさい名物親爺として報道しているのを見たが呆れてしまった。喝!商売人失格!当該の親爺よ、自分が尊敬されていると思うなよ。その小屋の立地条件がいいだけで登山者はやむなく立ち寄るのだゾ。その山に感謝しなさい。この罰当たりめ。

著名な場所にある山小屋が適正な利益を乗せて商売しているとはとても思えないのであります。景色を求め客が来るから値段を上げる。それでも客が押し寄せる。また値上げをする、ウハウハだ。一昔前のゴルフ業界の価格設定に似ています。

これもそれも山爺のような団塊世代が昨今の山ブームとかに乗せられて高い料金やサービスの悪さをものともぜず雲霞のごとく押しかけるから商売が成り立つのでしょう。・・・山ジジイ・山ババアは小金持ちだからなあ!。山爺は前述した通り慢性の金欠症を患ってますが・・・(´ε`;)

多分丹沢山系あたりが適正価格なのかなあと思いますがねえ。更に山小屋によっては素泊まり料金設定はあるもののHPに臆面もなく堂々と『自炊場所はありません。表でお願い』と書いてあるところもある。殿様商売もここまで来たかと少々あきれています。自炊が好きな登山者だって世の中にはいるのですよ山小屋経営者さん!。登山者の手助けをするのが山小屋の使命なのではないのですかねえ?ええっ!!

えへへ!少し余計なことを書きすぎたかな。ごめんなさい。♫『誰のせいでもありません。皆んな時代が悪いのよぉ~』です。はい。・・・綾小路公麿より。


そんなわけで今回は避難小屋利用で山を楽しんでみようと奥多摩方面に的を絞り、首題の山行を企画した次第です。なんったってタダですからあなた。山爺のささやかな抵抗です。無人小屋は2014年の秩父両神山の清滝小屋以来です。・・・あの時は金曜泊まりだったので大きな山荘に山爺一人で心細かったっけ。今回は奥多摩で土曜泊まりだから誰かいるよ。うん!。予定のルートは

奥多摩駅⇒(バス)東日原⇒ヨコスズ尾根⇒一杯水避難小屋(荷物デポ)⇒三ッドッケ山往復⇒避難小屋(泊)⇒蕎麦粒山⇒日向沢の峰⇒川苔山⇒山の神⇒鳩の巣駅という長丁場の縦走路を踏破する予定です。

しかし避難小屋に泊まるということはサービスの一切が期待できないので寝具や自炊道具・照明といった装備を持参し自己完結しなければなりません。ここが辛いところです。当然荷は重くなります。山爺は小屋でお酒を飲むのが殊のほか好きなので、それも加えなければなりません。当然背負う重量は増すばかりです。

出発の3日前に荷造りを済ませ背負い計量したところ13Kgありました。これに水を2L、缶ビール2個とお酒2合加えると15Kを超えてしまいます。装備の見直しです。非常食を減らし、セーターを排除、これもいらない、あれもいらないと軽量化し13Kgに減量しました。缶ビールも350mlから250ml缶へ格下げ日本酒は280mlから180mlへと計300gの減量です。

早朝5時45分に家を出て駅に向かいます。『あれえ!なんか重いなあ。膝に来るなあ』久しぶりの本格登山なので足にずっしりきます。日頃怠けて家でごろごろしているツケが早くも来たようです。
登山口まで持つかなあ?一抹の不安がよぎりました。

東武線で南越谷まで、ここから武蔵野線に乗り換え西国分寺まで行きます。土曜だから空いているだろうと思ったのですが朝から乗客で一杯です。西国分寺で下車し№2ホーム急ぐ。乗り換え時間が4分しかない。中央線で奥多摩方面へ。

立川で一旦下車し8:11発の快速奥多摩3号を待ちます。定刻乗車、うわあ!なんじゃこりゃ通勤ラッシュ並みの混みようです。ほとんど登山客です。天気も良いので仕方がありませんがそれにしても皆さん朝から暇だねえ。・・・って俺もかい。(1人突っ込み)

御嶽駅で乗客の大半が降りていった。ケーブルカーの使える御嶽山はやはり大人気の山のようです。9:17定刻通り奥多摩駅に到着しました。


御嶽駅で大分降りたものの、まだまだ残党が大勢います。早くバス停に行き順番待ちしなければと空になった車内を駆け抜け駅の改札へと急ぐ。

去年の雲取山の時は切符精算で手間取ったので今回は南越谷から通しで買っておいた(¥1420)ので、すんなり場外へ出ることが出来ました。下調べしておいた通り東日原行のバスが出る№1バス乗り場へ急ぐ・・・うへえ!すでに順番待ちが長蛇の列をなしている。なんだこれは前のバスに乗り遅れた面々か?、奥多摩恐るべしである。

9:35分発のバス乗車が危ぶまれるほど人数が既に待っている。バスがやってきて乗車開始、バス内へどんどん乗客が吸い込まれて行く。思ったとおり山爺の15人前あたりで乗車打ち切り。まあいいかすぐ臨時が出るだろう。間違いなく座れそうだし。とタカをくくっていたら係員から『今度の臨時バスは30分後に到着予定です』と来ました。『おいおいすぐ出るんじゃないのかい』とがっかりする。


係員の言うとおり30分後に臨時バスがやってきました。そそくさと乗車、当然座席は確保です。5~6人を積み残し超満員でバスは発車しました。それにしても、もう家を出てから4時間以上経過している。いい加減疲れてしまいました。山に入る前からこれですから先が思いやられます。

途中の川乗橋と言うバス停で大半の乗客が降りました。ここが川苔山への登山最短ルートのようです。川苔山すごい人気だね。

10時30分に終点東日原に到着しました。ここで今回の山行のために新調した折りたたみ水筒900mlを出して水を補給する。

トイレの手洗い蛇口しか補給場
所はないが贅沢は言えない。

今日宿泊予定の一杯水避難小屋にも水場はあるようだがその名の通り”一杯水”つまりほんの少ししか流れていなく枯れている場合が多いという。万一枯れていたら大変なので十分水を用意して掛からなければなりません。

500ml2本とベルトポーチ内に280ml、900mlの臨時水筒合計2100mlを背負いヨコスズ尾根を経て一杯水避難小屋まで、いざ出発。時に10時45分、予定より30分遅れの登山開始である。

バス停を少し下がったところに登山口はあります。そこを少し登ると民家がありその横に目指す山の標識がありました。いよいよ山道です。

2軒目?の人家を通り過ぎようとしたとき横に小道がありその先にピンクのリボンが結わえ付けてあります。山男の悲しい習性でそのリボンを見つけるとその方向に自然と足が向いてしまいます。

うっかり脇道に入ってしまいましたがその時点では気がついていません。急な道でしたが、地図上の指摘にも急坂の表示がしてあったので疑いもしません。どんどん登ってゆくと祠がありました。これにより『祠もある。やはり本道だ』とますます勘違いし更に登り続けます。

たちが悪いことにリボンは要所に付けられているのでどんどん奥に誘導されてしまいました。落石よけの大フェンスを何個か超えたあたりからやたら落ち葉が増えてきて人があまり通った気配がなくなりました。『おかしいなあ』と思いますが相変わらず目印リボンはあります。1時間も登り続けたところでとうとう道がなくなりました。同時に目印リボンも消えました。

この時点で間違いに気づき引き返すことに。そうです、目印のリボンに釣られて山爺は工事用の山道に誘導されてしまったのです。『こらあ~観光協会に工事屋!!道案内板しっかり付けんかい。紛らわしいリボン付けるんじゃねえ』・・・ひどい目に会いました。1時間30分も無駄な時間を費やしてしまい貴重な水も消費してしまいました。元の分岐に戻り本道をトボトボ歩き出しました。

リフトのある家を通過しようとすると庭に洗濯機が置いてあり水道の蛇口が!家に人気はありません。恐る恐る蛇口をヒネると水が出ました。『緊急事態です。申し訳ない』と心で謝罪しながら水を無断でいただきました。いや盗みました。ごめんなさい。・・・深謝!m(_ _)m

その家の横を通過して10分も進みましたがお墓が出るやら畑が出てくるやら、どうもおかしい。またまた引き返し家の前で左折すると家の裏にも山道があるではありませんか。こらあ~観光協会!!道標整備せんかい!また道間違えたぞ。15分のロスです。合計2時間近くも山麓を徘徊。もう12時をとうに回ってしまっているのにまだ入口でウロウロ状態です。一瞬今回はケチが付いたからもう帰ろうかなと思うほど落ち込みました。・・・山男を自負していた山爺もずいぶん勘が鈍ったもんです。『駄目だ!こりゃ』です。


裏手をゆくと付近の人家用でしょうか水小屋がありました。蛇口をヒネると冷たそうな水がドドッと出てきました。『な~んだ!水泥棒するんじゃなかったな』と後悔しても後の祭り。こうなりゃここで昼食だ!と大休憩を取ることにしました。

時間が押しているので珈琲を沸かす余裕はありません。水小屋から水をコップに受けてゴクリ!冷たくてうまいのなんのって、生き返ります。サンドイッチ・梅握り・バターロールを一気に平らげました。・・結局ここが今回の山旅で最初で最後の水場となりました。

急いで昼食を済ませて歩き出すと一旦舗装林道に出ました。ガイドブックに書いてある通りです。しばらく進むとまた山道があります。ここが言ってみればスタート地点となります。なんだか憂鬱になってきました。仕方がないのでトボトボ歩き出します。もうバス停を降りて登りだした頃の元気はありません。パワーは全部放電してしまいました。

もう標高1000mは越したと思われるのにさっぱり涼しくありません。どうなっているんだ今日は?とブツブツ、暑さで参りながら少しづつ高度を上げてゆきます。水がどんどんなくなります。・・・下山後知ることになるのですが当日各所で真夏日を記録していました。どおりで涼しくないわけです。


奥多摩の山々でもそこは山、危険な箇所も時々出てきます。暑さで注意力が散漫になりがちですがそういう場所に差し掛かった時は注意を振り絞り通過します。右の画像は右側がスッパリ切れて崖になっています。落ち葉に足を取られると転落します。

途中にひねくれた変な木を見つけました。どうしたらこのようなひねくれた木に成長するのかと疑問がわきます。極道樹木です。


標準コースタイムでは2時間30分(休憩なし)ですがもう6時間も行動しています。道間違いのロスを引いても4時間が経過しています。ここの山道は標識だけはよく現れますが地名だけで時間や距離の表示が全くありません。山小屋まであとどれくらいかさっぱり見当がつきません。お~い!観光協会さ~ん!標識には距離か時間書いといてよね。・・文句ばかり出る山爺です。

それに腹を立てながら歩いているとようやく目の前に避難小屋が現れました。時に17時15分、計画より4時間も遅れで到着です。

『こんにちは』と心で思いながらドアーを開けて中に入る。誰も小屋内におりません。

『ええぇ!誰もいない、今夜も一人で過ごすんかいな。ふええ~』と不安になりました。

当初の計画では空身で三ッドッケ山往復だがこの時間ではもう無理です。第一体力が残っていません。

鍋とカラのペットボトルを持って水場に急ぎます。蕎麦粒山方面に歩いて5分位のところに水場がありました。ガガーン!水場が枯れておりました。一杯どころか一滴の水も出ていません。(゚д゚lll)

がっかりしながら小屋に戻ります。水がなくてはこの先が不安というより縦走不可能です。小屋に入って床の隅を見ると新しい3Lペットボトルが2本置いてあり半分ほど水が入っています。片方は4月末の日付で新しいようです。

登山者が下山に際し不要となり置いていったようです。一抹の不安がありましたが、火を通せば大丈夫だろうと思いありがたく使わせていただくことにしました。

後編で述べますが今回の山旅はもらい水の連続で本当についていました。下山の途中で水が切れかかった時も観音様2人(山ガール)が突如現れ水を分けていただきました。ありがたや、ありがたや、です。観音様達ぃ~ブログ見てますか。!!

無洗米を鍋に放り込み残置の水をそそぎ炊飯、今日の献立はカレー、キャベツと魚肉ソーセージのサラダです。焼き鳥缶詰やソースカツなども持参しましたが食欲がないので開けるのをやめました。

水場が枯れているので持参したビールを冷やす水がありません。仕方がないので表に晒して空冷です。外の気温は13℃を指していました。なんとか冷えるべえ!


飯が炊き上がったので食器に開け替えてレトルトカレーを冷たいまま掛けます。水が少ないから仕方がありません。

ビールを飲みながら一人で今日の反省会です。なんで道間違えたかなあ、勘がなまっているなあ。と・・・

さみしいのでラジオをガンガン鳴らします。ここで活躍したのがやはりネットで探して新調した充電式電球です。USBケーブルを介してPCから、または付属のソーラーパネルからも充電できる優れ物です。



商品の詳細
連続6時間点灯しても消えません(家で実験済)これを天井にぶら下げると小屋全体がかなり明るくなりました。¥970で手に入れました。良い買い物をしたものです。これからの山旅になくてはならないお供品となりそうです。

この他にも両神山の時に作った100均で見つけたLEDライトの改造器を持ってゆき常夜灯としました。真っ暗闇の中で寝られるほど山爺も度胸は座っていません。

【山爺の手作りライト】



水銀電池点灯のロウソクライトのライト部分のみ利用し電源は単3電池ボックスと接続できるように改造。長時間の点灯を 可能にした自作品・・・丸1日位は点灯し続ける。



誰かいることを期待しておつまみやら、焼酎・お酒1合も担ぎ上げましたが疲れていることも手伝って食欲がイマイチありません。まだ8時ですが寝るに限ります。

食器を片付け、歯磨き、用便と一連の行動も携帯電灯のお陰でなんの不自由なく行えます。いやあいいもの持ってきたもんだ、と1人ごちました。

←トイレも避難小屋にしては、そこそこ綺麗でした。こんな感じです。

「ハンドスプレー」の画像検索結果公式案内によればバイオトイレなので使用後の紙はお持ち帰りください。とあったので100均で霧吹きの小さなものを購入し持ってきました。ウオッシュレットとして使うつもりです。

うん!うん!こりゃ具合が良い。・・・このブログを見て真似しようとする皆さんへ!中の細いホースは切ってから使ってね。逆さにして使うので、そうしないといくらシュシュとやっても空気しか出ないよ。

紙は仕上げのみの少量で済みます。下を覗くと結構紙が混じっているので山爺もわずかですが下へポトリ。ゴミは持ち帰っても下の処理した紙はねえ、バッチイよね。皆さん真摯に持ち帰っているのかなあ。いやあ下ネタで盛り上がりますなあ。って!独り合点かな?・・皆さん!この工夫情報、役にたちました?

今回の山行のためやはり軽量ダウン寝袋を購入しました。サイズは右図の通りで重さといい収納時の大きさといい期待した通りのものが送られてきました。送料込で¥4900と価格も手頃、有料山小屋素泊まり料金とほぼ同じなのでもう元がとれました。超お買い得商品です。

さて寝心地はどうだろう。マットを敷いて寝袋を広げる。アンダーシャツとパンツ一丁になり潜り込む。おお!なかなか暖かいではないか。ラジヲを聞きながらウトウトしているといつの間にか寝入ってしまいました。

1時間も寝たでしょうか。表でがさがさ音が聞こえます。今頃登山者?いや違うな。熊か?、ちょうど小用もしたかったので懐中電灯を持って様子を見ようと寝袋からでます。充電電球ををつけると小屋全体が明るくなりなんか落ち着き、怖さが薄れます。

片手に先端むき出しのストック(昼間の行動中ゴムキャップ紛失)を持ち、用心深くドアーを開けて様子を伺います。すぐそばにはなにも居なさそうです。表に出て闇に向かい電灯をかざすとガサガサと黒いものが下の方に逃げて行きました。熊か?なんだろう。

その時、闇夜に二つ目玉が光りました。一瞬『熊!』と思いギクッとしましたが熊なら簡単に逃げないはずと思い電灯をその方向に照らすと茶色い毛並をちらっと見せて更に下に消えていきました。『なあんだ、やはり鹿だ、脅かせやがる』

安心して夜空を見上げると満天の星「星空」の画像検索結果空が視界に入ります。これだから山はやめられまへんなあ。

この行動中の出で立ちはアンダーシャツにパンツ一丁でした。誰もみてないもんネ。一人は気楽でいいねえ。


「親父のパンツ一丁イラスト」の画像検索結果





三ッドッケ山から蕎麦粒山、川苔山縦走・・前編・・・の項 完 後編に続く。





















2017年5月12日金曜日

貨幣博物館ほか東京散策

世間ではゴールデンウイークとかで連日マスコミがやれ9連休だの交通渋滞だのと、かまびすしい。
山爺としては今のところ毎日がシルバーウイークで大連休である。(笑)どげんかせんといかんとです。

連休中は家内や娘たちも朝から一緒なので毎日顔を付き合わせる。毎日ではお互い憂っとおしいだろうからと気を利かして1日くらいどこかに出かけることにした。といっても旅行や山歩きはどこに行っても混雑している。いつでもいける境遇なのにわざわざ混雑に巻き込まれに行くのも愚策というものであろう。

PCでネットを検索していたら、5月3日~5日東京都体育館で日本障害者スポーツ協会主催の共生スポーツ祭りなるものが開催されて共催のTBSにより5月4日の13:30~吉田類のトークショーがあることを知った。しかも無料である。これは聞きに行かねばなるまい。

吉田類とは知る人ぞ知るBS・TBSで毎週月曜日21:00~22:00に放映されている『吉田類の酒場放浪記』に出演しているあの吉田類である。都内や関東近県の街の庶民的居酒屋の暖簾をふらりとかき分け、ひたすら酒を飲むだけ、ただそれだけのたわいのない番組である。

見ようによってはなんともひどい番組であるが、居酒屋で自分も呑んでいる雰囲気に浸れることと類氏の軽妙な会話が面白い。地デジ民放各社が相変わらず白痴然とした番組ばかり流す昨今、山爺お気に入りの番組の一つである。

ナレーターの声優、河本邦洋が掛け合い漫才よろしくつぶやくのがまた絶妙なのであるが、河本氏が吉田氏を評して曰く、『高知県が生んだ偉大なよっぱらい』と。


山爺の一口メモ】

吉田 類は、高知県高岡郡仁淀村出身の酒場ライター、画家、作家、タレント、歌手。名前の「類」は通称

トークショーは午後からである。午前中時間があるので前から行こうと思っていた日本橋にある貨幣博物館で時間を潰すことにした。

地下鉄半蔵門線三越駅下車、地上に出るとすぐそばにその博物館はある。先に道路一本挟んだ日本銀行本店のぐるりを見学しようと行ってみたがなんと工事中で外周ぐるりと工事塀で囲まれて無粋ったらありゃしない。

景観台無しである。博物館に戻り入館しようとすると厳つい警備員が立っている。

入ろうとするとこの警備員愛想よく『こんにちは』と挨拶するではないか。仕方なくこちらも『こんにちは』と挨拶を交わし中に入る。

普通、受付けは女性と決まっているがなぜかここは受付けも男子警備員である。お金を扱う場所だからかなあ?(下画像赤丸)

ここの博物館は無料であるが入館者名簿に記帳しなければならないらしく警備員に記帳を促される。面倒だなと思ったが、なあに居住県名だけ書けば良いのである。

博物館は2階にある。2階のフロアーに到着すると右側に土産物屋がまず目に付いた。売り子の女性が愛想よく土産物を説明する。お札ハンカチや貨幣まんじゅうやらキーホルダー面白いものがずらりとある。

『いかがですか』と言われたので鼻の下を伸ばしながらか『帰りにネ』と言い展示コーナーに移動する。

うわあ!いるいる見学者がたくさんいるではないか。順路に従いまず古代の貨幣展示コーナーから鑑賞開始。

一般的に貨幣流通の最初は708年の和同開珎が有名で『何円張ろうか和銅銭』と覚えたもんだがそれ以前に試作された銀貨の無文銀銭や銅貨の富本銭が展示してあった。

ときの大和朝廷は懸命に貨幣の普及に努めたようだが和同開珎も含め実際の流通は思わしくなかったようである。

そりゃそうだろう。いきなりヘンテコな価値のない丸いものを押し付けられ、これで物品よこせと言われたら誰だって『何なんだこれは、お前気は確かか?』と拒否するだろう。

したがって、実際は塩・米・布といった物品貨幣または商品貨幣が流通し続けた。貨幣流通が本格化してくるのは中世の室町時代以降らしい。

昭和に入ってからでさえこんな話がある。(本当かどうかは怪しいが)

九州の人吉の山奥五家荘五木村を旅行をしたある人が雑貨屋で買い物をし当時流通して間もない¥500硬貨(昭和57年発行開始)を差し出したところ店番の婆さんがその硬貨をしげしげと見て『年寄りと思って馬鹿にするでねえ。こんな銭は見たことがない』といって断られたそうだ。普段何気なく使っているが銭の価値観とはそんなものである。

展示は2階のフロアーだけであるが古代から中世、近代、そして現代とわかりやすく展示してあり期待以上の成果を得た。笑えるのは今の千円・五千円・一万円そして悪名高き二千円札がガラスに入り壁に展示してあることであった。ん!別におかしくないか?でもなんか笑えた。

一円札や十円札、百円札は今でも使えるそうですが実際使う人は誰もいないだろう。山爺は小学校4年生のころ?十円札を一度だけ使ったことがある。なぜ手に入れたかは覚えていないが当時でもすでに珍しかったのでしばらく手元に持っていたが駄菓子が買いたくなってついに手放してしまった惜しい記憶がある。その懐かしい十円札とも久々に対面した。

一億円の束のレプリカがショーケースの中に入っており左右の穴から実際持ち上げることが出来る。一万円のお札は一枚1gだそうで、これで10kgあり相当重い。この間起きた福岡の3億8千万の強奪事件は被害者は一人でこれを運んでいたのだから恐れ入ります。どうやって運んだのかなあ。台車使ったのかなあと下衆の疑問が沸く。

38kgもあるのでは、奪う方も相当の体力を要しただろうにねえ。山爺とは無縁の世界です。はい!。

約束通り、帰りに売店に立ち寄りお札のクッキーと銭形まんじゅうを購入して博物館を後にした。都内にはまだまだ面白そうなミニ博物館が沢山あるのでこれからもせっせと足を運びたいものです。

11時を回ったのでいつもの通り秋葉原電気街に移動しLED電球と5月中旬に山行予定なので山用品販売店(日品)でドライフードを数点購入した。

12時30分に千駄ヶ谷に移動し東京都体育館で開催されている共生スポーツ祭りへの会場へと急ぐ。

おお!なかなかの人だかりである。身障者による車椅子バスケットの試合がメーンイベントであるが場内に地場産業コーナーや売店もあり盛況です。家族連れで賑わっていました。

トークショーまでまだ30分以上あるので体育館内で車椅子バスケットの模様を見学しようと体育館に入ると入口でスポーツドリンク500mLを頂きました。

いやあ今日は無料ずくし結構、結構と気分を良くする。
  
試合はまもなく準決勝が宮城と埼玉のチームで争われるらしく盛んに練習をしていた。その練習たるや真摯で激しく、その光景を見て健常者の山爺としても、日々ぐうたらしていてはいかんと反省させられました。

2階のフェンス越しに練習風景を見ていたところ、ふと横を見ると1人置いて隣に見たような人がやはり見学しながら連れの人と話している。あっ、その声は!吉田類だ、間違いないトレードマークの鳥打帽子に黒い服装、偶然にも隣り合わせになってしまった。

よほど『類さんですね。いつも番組見てます』と声を掛けようとしたが、マネージャーらしき人と会話中なので遠慮した。しばらく吉田氏の様子を見ていたがやがて別の場所に移動していった。

いやあ、いきなり有名人に出くわすと咄嗟に声が出ないもんですなあ。大阪のオバチャンのような厚顔無恥がうらやましい。

トークショー5分前になったので会場にいってみるとなんとすでに黒山の人だかり。しまった、もっと早く席取りをしておくんだったと思ったが後の祭り。

なんとか人をかき分けながら中に潜り込み、見える位置を確保した。司会はTBSのアナウンサーである(名前は失念)

写真を撮ろうとすると(撮っちゃったが)TBSのロゴ入りシャツを着たイベント関係者がすばやく飛んできて『写真はご遠慮ください』ときた。見やすい後方に移動して写真を撮るとまたもや、『恐れ入ります写真はご遠慮ください』と注意された。『いいじゃねえか、減るもんじゃなし』しかしなんで写真ダメなんだろうなあ、としばし考え込む山爺でありました。

吉田先生、最初から使い捨てプラ容器にビールを波々と注いで飲みながらトークをする始末。酔っぱらいの面目躍如である。結局45分のトークの間に中ジョッキー2杯くらい飲み干した。いやはやなんともである。

酒場放浪記の収録では概ね1升くらいの酒を飲んでしまうというから、かなりの酒豪に違いない。

観客の中には用意のいい奴がいるものでビールを飲みながらトークショーを聞いている者が2、30人はいた。

吉田氏が何かに付け『乾~杯』と手に持ったビールを高々と上げると『乾~杯』と呼応する。まさかTBSの回し者のサクラではあるまいなと疑うほどノリが良い。

今日は貨幣博物館といい、トークショーといい、全て無料でおまけにスポーツドリンクまで頂いた。なんか得した気分の一日でした。


貨幣博物館ほか東京散策の項・・完







(1949-06-0