ずいぶん暖かくなった。ついこの間まで寒くて縮こまっていたが、明日3月11日は気温が20℃を超える勢いとか・・寒さにかまけて運動不足が続いている。これは出かけねばなるまいて。
近年、暑さ寒さの変わり方がゆるやかでなくなったと思うのは山爺だけだろうか。昨日まで寒かったのにいきなり夏日とか、極端な変わり方が多くなったよう気がしてならない。
急な変わり方の主因は地球温暖化の影響による上空のジェット気流の蛇行にあるらしいとは理解してはいるのだが。それにしても急激な寒暖差は年寄りの山爺には堪えるわ。
足利の織姫神社のそばに西渓園という梅の名所があることは以前より知っていた。ここは私有地であるが持ち主の善意で無料で園内を開放しているらしい。山間部なので梅、まだ咲いているだろう。
いつものように思い立ったが吉日、急ぎザックにカメラやら帽子やらタオルを放り込み、いそいそと出かけてみる。土曜日の朝の下りだから電車は空いていた。土曜日なら混んでるだろうって、ちっちっち!。足利方面の平日の早朝は、やんちゃな高校生だらけで囂しいのである。
足利市駅に9時前に到着。駅を出て自慢のセミ一眼カメラ、ニコンCOOLPIX-P500を取り出して撮影準備をするも、『あれえ、動かない』・・・あちゃーまたやった。バッテリー切れだ。予備のバッテリーは、あ?持ってきてません。山爺またもやっちまったなあ。今日も予備カメラのカシオコンデジEXZ-370だけが頼りです。トホホ。駅を出てまず森高千里ちゃんの歌”渡良瀬橋”で有名な渡良瀬橋を渡って織姫神社前に到着、織姫神社は高台にあるので参拝は省略。左折し100mも歩くと西宮入口と書いた小さな案内を見つけた。ここを右折。
ちょいと歩くと長林寺の案内板が目に止まる。ここは足利地方の名門、足利長尾氏の菩提寺らしい。ちょいと覗いてみよう。
【山爺の一言メモ】
長尾氏は、桓武平氏の一族で、相模国鎌倉郡に拠って鎌倉党といわれた武士団に属し、同郡長尾郷を本貫の地とした。いわゆる坂東八平氏の一つである。鎌倉時代の記録である『吾妻鏡』には、為宗(為景)・定景、定景の子景茂・胤景・光景、景茂の子景忠・為村・為景・定村等、長尾氏の人々が記されている。長尾氏の家系については諸説があり、伝わる系図も異同が多い。それら諸系図によれ
ば、『吾妻鏡』にあらわれる長尾氏は鎌倉権五郎景政の系統となっている。
為景・定景兄弟は、頼朝の挙兵のとき大庭景親らとともに平家方について頼朝と石橋山で戦った。その後、頼朝に降服した定景は三浦義村に預けられのちに許されたが、鎌倉時代を通し長尾氏は総じて振わなかった。定景と一族は三浦氏恩顧の下に立ち、承久元年(1219)、定景は将軍実朝を殺害した公暁を三浦義村の命によって討伐に向い、首尾を達して公暁の首を義村
に献じている。この定景の行動は、三浦氏の被官としてのものであり、御家人としての主動性は認められない。とはいえ、長尾氏は将軍の供奉人、随兵、将軍臨時外出供奉人としても行動しており、三浦氏の一族として長尾郷を本拠とする御家人の立場でもあったようだ。
去年の大河ドラマ鎌倉殿の13人に関連のあった人物なのですねえ。世間は狭い。
この寺には七福神の布袋様が祀ってあり足利七福神として市の広報パンフに紹介されています。
本堂の左手に墓所があります。長尾氏の墓所もここにあるようですが
小腹がすいてきたので園内の草むらに腰掛けてちょいと一休みです。結局1時間近く園内に留まっていましたが、その間独り占めです。良い目の保養になりました。
家に帰りついてiPhoneの万歩計をチェック。何と2万2千歩の数字が・・・『やるなあ、爺さん』・・生徒達の声援が聞こえてきました。
【川柳】
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